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私は産まれた

昭和の終わりに近づくころ、私は産まれた。

予定日を過ぎた数日後、破水した母は産気付くのを待つために入院を勧められた。

母親学級で一緒だった母親が初産にも関わらず陣痛で悶えることもなく、

笑顔で「じゃぁ産んでくるね~!」とストレッチャーで運ばれて行くのを尻目に、

方々から昼夜を問わず聞こえてくる断末魔、そして産声に囲まれ、

元来お嬢様で育ってきた母は自分の身に起こっていることが一体何なのか

この期に及んでも理解できることもなくそこにいた。

 

笑顔で断末魔の時間を終えた友人は、程なくやはり笑顔で帰ってきた。

母は思ったそうだ。

「この人、変」

母はその後、その「変な人」と生涯親友であり続けた。

「変な人」が病魔に勝てず亡くなるその日まで。

 

私は産まれた。

変な人は、立ち会い出産など一般的ではなかった当時、

親族はおろか友達もいなかった東京での暮らしに慣れないまま妊娠した母の隣で、

分娩室に行くまでの断末魔に寄り添ってくれたそうだ。

自分こそまだ初めての新生児を側にたった先ほど新しい突然の人生をスタートしたばかりなのに、

ほんの少しだけ先輩とは言え、

まだ痛みの余韻もあれば、

心の余裕を先ほど失ったばかりのはずなのに、

私の母の隣で笑顔で腰をさすってくれたそうだ。

「大丈夫、大丈夫」

母はきっと、お嬢様なりに知り得る数々の暴言を吐いただろう。

 

分娩は、母親だけが頑張るのではなく、

産まれる赤ちゃんも必死に頑張っているのだ、と後に私は聞いた。

母にそれを言った人がいたかどうかは分からないが、

母のことだ。

そんなことを聞いたとして、それどころではなかったろう。

想像に難くない。

 

私は産まれた。

秋の終わり。

午前3時6分。

2,800g。

母はこの日41週間に渡った妊婦生活に終わりを告げ、

母親という存在になった。

私は胎児を卒業し、

父と母の子、という存在になった。

 

産まれた私の面会に来た父は、

ガーベラの花束を手にしていたそうだ。

なぜガーベラだったのか、父に聞いたが「覚えてない」そうだ。

「そんなの持ってったっけ」

だそうだ。

 

昔から、私は好きな花は何かと問われると、

真っ先に「ガーベラ」と答えた。

不思議にすら思わなかったが、

後にこの話を聞いて縁のようなものを感じた。

今思えば、

私は産まれたその時から、

父からの愛もきちんと記憶して育ってきたのだろう。

受け取っていたのだろう。

 

お父さん、お母さん。

覚えていることも、覚えていないことも、

もしかしたらただ気付いていないだけなんだろう、って最近思うよ。

そこにはきっと、私が受け続けてきた絆があったんだろう、って。